気づいたら、まとめてた。

ただひたすらに興味のある事柄をまとめるだけの簡単なお仕事です。

スーツを着る、誇りを着る。 前編

突然ですが僕、SUITSが大好きなんです。

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あ、ドラマです。海外ドラマ。よくあるリーガル物ですね。韓国ドラマでも同名のものがありますが、そちらは観ていません。パクりかな?

右から2番目に写ってるメーガン・マークルさんは昨日結婚式を挙げられましたね。おめでとうございます。華麗なるロイヤルファミリー。

 

話を戻しましょう。

 

このドラマの何がいいかって

 

スーツなんですよ!!!!

 

 

もう出てくる人みんなスーツが似合ってるんですよ。パリッとしたカッコいいスーツを着て、華麗に仕事をこなす。え、やばくない?(語彙力3)

スタイリッシュの具現化ですよね。

 

このドラマを見てからというもの、スーツが大好きになりました。

 

今でこそ、ビジネスの場でも冠婚葬祭でも様々な場面で着られるようになったスーツですが始まりは一体どうなものだったのでしょうか。

 今回は服飾史みたいなものなのでいろいろ飛びますがご容赦ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全ては財政難から(黎明期)

 

昔々、王侯貴族は皆思い思いに華美な服装を楽しんでいました。

(↓ヘンリー8世)

当時、男の魅力はふくらはぎとされていたのでタイツのようなものを履いていました。超スキニーといったところでしょうか。

ヘンリー8世の服装にはこんな解説もあります。

 『金襴の服地には無数のスラッシュ(切れ目)を入れ、そこから下に着用した白いシャツをパフ状につまみ出し、さらに袖のスラッシュは宝石でつないで強調。靴にも凝ったスラッシュが入る』
引用元:『スーツの神話』中野香織 文春新書 30P

こんだけ手が込んでいて、宝石も縫い付けられている。もはや着る財産です。

いくらかかったんですかね。

 

華美から質素へ(17世紀まで)

時は流れ、王が処刑され共和制が樹立したピューリタン革命、その共和制を有名無実化したクロムウェルの独裁とその崩壊の契機となったクロムウェル自身の死。

(↓オリバー・クロムウェル)

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そんな中で迎えられた王がピューリタン革命で処刑されたチャールズ1世の息子、チャールズ2世でした。(下図)

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彼が王に即位した17世紀は暗黒の時代とも言われています。三十年戦争(1618~1648年)、経済の不振、生産力の低下、自然災害の頻発、人口の減少。ろくなことがありませんでした。

 

さらに第二次英蘭戦争、ペストの流行、ロンドン大火も彼の在位中に起こっています。疫病神。

(ペストの流行)

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(ロンドン大火)

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このような危機的状況に対応するべく多くの資金が投入されていましたが、国庫の貯えは減るばかり。

そこで、彼は1666年、服装を統一することで華美な服装を規制し、倹約するという衣服改革宣言を出しました。これにより、ベストとその上に羽織るコート、フリフリのシャツに半ズボンというスタイルが定着しました。英国式ツーピーススーツ(ジャケットとトラウザー)の誕生です。

 

お隣のフランスは豪華絢爛路線を突っ走っていたのでその逆を行こうぜ!ってな感じの国全体のイメチェンですね。

 

 

 

 

半ズボンから長ズボンへ(18世紀)

18世紀に入ると、服装に変化が見られました。

 

それまでは、ふくらはぎ=男の魅力だったので短パンが好まれていましたが、徐々に長ズボンを履くようになっていったのです。政治的側面であるフランス革命、文化的側面である1750年以降のギリシア彫刻の発掘に端を発する新古典主義(イギリス)が影響しています。言葉だけ見てもよくわからないですね。

 

 

フランス革命新古典主義

 

前者から見ていきましょう。

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これは有名ですよね。

バスティーユ監獄の襲撃から始まる、処刑の嵐。文字通り、断頭台の露と消えたルイ16世とその王妃マリー・アントワネット。血みどろの革命。フランス革命(1789年5月5日)に関しては、また今度やりますがここで覚えておいていただきたい言葉がサンキュロットです。

 

 

キュロットは「半ズボン」を指します。サンは「無し」。サンキュロットで「半ズボンなし」ですね。

当時、貴族たちは半ズボンを履いていました。半ズボンを履けない貧困層の人たちを貴族は「サンキュロット(半ズボンなし)」と馬鹿にしていました。

この特権階級である貴族らが着ているものを革命家たちが着るわけにはいきません。そこでイギリス軍の服装である長ズボンを取り入れ、着用するようになりました。

貴族からの悪口じみたあだ名である「サンキュロット」をむしろ自分たちのアイデンティティにしたわけですね。長ズボンは不公平な階級制度への抵抗の表れでした。

また今でこそ、フォーマルな色である黒ですが、当時はブルジョワジーが好んで着用していました。それを見た貴族は黒をブルジョワジーの色として馬鹿にしていました。敵作りすぎでしょ。

1789年に出された「身分による衣装強制の廃止」という法により立場は逆転。黒が社交界を侵食するようになりました。

 

新古典主義(イギリス)

簡単に言うと、ダンディズムの始まりです。

古代ギリシアの彫刻が次々と発掘されるようになると人々は気づきました。

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マッチョはかっこいいということに。

 

画像のような写実的な肉体美を目指して服装が変化しました。こうして誇張したふくらはぎを毛嫌いし、長ズボンでふくらはぎを隠すようになりました。

 

ダンディズムとナポレオン(19世紀前半)

ダンディズムの隆盛

イギリスのダンディズムは隆盛を極めます。

洒落者たちは機能的かつ簡素、しかし細部にはこだわるという紳士服をこぞって買い求めました。簡素化はピューリタンの禁欲主義が影響しています。

 

このダンディズムに拍車をかけたのがジョージ・ブライアン・ブランメル

彼は平民の出でありながら卓越したファッションセンスによって社交界入りを果たします。さらに時のイギリス国王ジョージ4世のファッション指南役にまでなります。

彼はファッションにフロックコート、そして長ズボンを取り入れました。フロックコートとは16~17世紀にかけて着られていた農民の作業服でした。それを上質な生地で仕立てたものがこのフロックコートです。このころになると乗馬は移動手段、嗜みでもあったので、襟が開いていたり、袖の折り返しがなかったりと乗馬服の名残として残っています。

 

今日に通ずるその着こなし方はシンプルかつ機能的。まさにダンディズム。

彼の影響により、19世紀からは派手さよりも洗練されていることがファッショナブルとされるようになりました。

 

長ズボンは強かった

 

また、1815年に長年続いた半ズボン長ズボン対決に決着がつきます。

当時のフランスの支配者はかの有名なナポレオン・ボナパルトでした。

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え?画像が違う?こっち?

これ完全にイメージだからね。正しいのはさっきのほうだからね。

 

ナポレオンは半ズボン復古派でした。権力者になりたかったからね、仕方ないね。

 

ちょっとナポレオンの話もしておきましょうか。

 

ナポレオンはフランス革命期にそれまで要塞を攻略する時しか用いられなかった大砲を積極的に取り入れ、砲兵として運用し、軍人としての頭角を現していました。

 

初期は革命を抑え込もうとする各国からの防衛戦争で指揮を執っていました(イタリア遠征、エジプト遠征)。

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そしてブリュメール18日のクーデター(1799年)で実権を握り、革命理念を引っ提げて、ヨーロッパ中に戦争を仕掛けます。

(ブリュメール18日のクーデター)

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各地を転戦し、トラファルガー海戦(1805年)では敗北しますが、アウステルリッツ三帝会戦(1805年)やイエナの戦い(1806年)では華々しい勝利を飾りました。

(トラファルガー海戦。イギリス側はネルソン提督を失う。)

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(アウステルリッツ三帝会戦)

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(イエナの戦い)

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しかし、彼の栄光は陰り始めます。

ロシア遠征が失敗に終わり、兵の多くを失います。

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さらに、ライプツィヒの戦いプロイセンオーストリア、ロシア連合軍に大敗。

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このあと、エルバ島に流刑として流されますが精鋭部隊で革命時からの部下である老親衛隊と共に脱出。

 

イギリスに最後の戦いである、ワーテルローの戦い(1815年6月)を仕掛けます。

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対するはアーサー・ウェルズリー。ウェリントン伯爵です。彼は長ズボン派です。イギリスですから。

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結果的にナポレオン(半ズボン)は負け、勝利したウェリントン公、つまり長ズボンは世界に広まっていきます。

 

 

こうして現在の上着に長ズボンというスタイルは定着していきました。

 

 

洒落者から紳士へ(19世紀、ヴィクトリア朝)

モーニングコートとイブニングコート

 

ズボンはここまで様々な変遷を辿りましたが、上着はコートのまま変わっていませんでした。しかし形は変わらずともコートの用途は様々でした。

また、このころに黒のフロックコート、白シャツ、蝶ネクタイ、明るめの長ズボンにシルクハットとステッキといういかにも紳士な服装が出来上がります。

 

地方の貴族が地元で生活するときに着ていた上着はフロックコートと呼ばれ、後に午後の正装である燕尾服よりカジュアルなものとして広まりました。

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では午前中はというとモーニングコートを着ていました。

上流階級は朝に乗馬を嗜みます。したがって、動きやすいよう前は大きく開けられ、後ろは残されています。優雅ですね。

 

 

午後は燕尾服です。

今ではどちらも廃れてしまいましたが、この燕尾服はまだ結婚式でも着られていますね。

この燕尾服はイブニングコートとも呼ばれ、午後の正装でした。また、色は黒一色となり夜会用となります。非常にぴったりとしたサイジングなのでだいぶ動きにくそう。

黒の燕尾服に白の蝶ネクタイ、白い胸当て、白いベストが夜会の正装でした。

午前と午後で服を分けていたということですね。

めっちゃめんどくさそう。

 

ラウンジスーツの登場(19世紀終わりから20世紀初頭、エドワード朝)

夜会で一通り夕食が終わると男性陣は別室に移動します。

そこでソファにゆったりと座り、ウィスキーを傾けながら談笑という流れでした。

いやー、優雅ですね。ん?座るって、ソファに?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……コートの長いところ、邪魔。

 

 

 

 

 

 

 

ということで切り落とされて作られたのがラウンジスーツです。

 

簡単に言っちゃえば室内着ですね。

コートのテール部分は切り落とされ、ズボンはゆったりしたサイズでくつろげるようになりました。他にもレジャーに行くための服として、コートじゃ堅苦しいということで作られました。

 

 

アメリカではこれをサックスーツと呼び、レジャー用として扱っていたようですが、アメリカのビジネスマンがこれを仕事用に着だすとビジネス用に改良され、どんどん広まりました。流石、若い国は違いますね。

 

また、このころには大量生産された

スーツを着ていたようです。安価で、スタイリッシュ。

みんな着ますよね。

え、もうほんとかっこいいやばい(語彙力皆無)

 

こうして、現在の形のスーツは出来上がっていきました。

 

 

 

続きます。