気づいたら、まとめてた。

ただひたすらに興味のある事柄をまとめるだけの簡単なお仕事です。

紅茶 後編

※この記事は以下の記事の続きです。

kawausoman.hatenadiary.jp

前回の記事では参考書っぽくお茶の発展とその歴史的経緯の話をしました。

 

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後編の記事ではなぜ、こんなにもイギリスで紅茶の需要が高まったのかという原因を探り、そしてそれに追い付くためにどんな創意工夫をしたかを挙げていきます。

 

 

4.高まる需要

水が飲めない!

 イギリスで紅茶が飲まれ始めたころ、国内ではある問題が昔から解決できずにいました。

 それは、飲料水です。今でこそ蛇口をひねればいつでも清潔で安全な水が飲めますが、当時のろ過技術は低く、水を安心して飲むことはできませんでした*1。そこで人々は何を飲んでいたかというとです。昼夜、年齢問わずみんなでぐいぐい飲んでいました。なぜなら、アルコールには殺菌作用があり、当時では安全な飲み物とされていたからです。

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 アルコールは「酔い」ます。誰かに喧嘩をふっかけたりするので治安が悪化し、酔っぱらったおっちゃんがそこらへんで寝転がってるわけです。大学生みたいだ。

 紅茶には殺菌作用がある上に、覚醒や集中作用があります。酒とは真逆。この効能は輸入業者によって喧伝され、貴族庶民問わず普及していきます。また、清教徒は飲酒が禁止されていたためアルコールに代わる飲料として幅広く飲まれました。

 

男はコーヒー、女は紅茶

 紅茶が普及する前、コーヒーが先にイギリスで普及していました。これを提供していたのがコーヒーハウスと呼ばれる場所で科学、政治などの高度な議論が交わされ、新聞も同時に提供されていました。当時新聞は最先端の情報源であり、1ペニー*2払えばこの新聞も読めて商売に役立てられる、さらには高度な議論も聞けるなどのことから、ペニー大学とも呼ばれていたそうです。こういう場所、現代にもほしいですね……。

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 (↑コーヒーハウス)

 しかしながらコーヒーハウスはあくまでも男性の社交場であり、女性や子供は入ることができませんでした。紅茶がイギリス人に広く知られるようになった理由はティーガーデンでした。このティーガーデンでは音楽の演奏を屋外で聴かせるなどで評判となり、次々にオープンしました。しかしながらアルコールは扱っていなかったため男性からは飽きられ、女性主体のアフタヌーンティーが始まったため、このティーガーデンは19世紀には姿を消しました。こうして紅茶を楽しむ文化が残りました。

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(↑賑わうティーガーデン)

 

労働者の朝食として

 産業革命は18世紀後半にイギリスで始まりました。人々は工場で働くようになり、昼食は家庭ではなく仕事場で取るようになりました。産業革命がなぜ始まったかとかそんな話はここでは書きません。それだけで本一冊書けちゃう。

 工場経営者は元々農民であった労働者に困っていました。彼らには時間という意識が希薄だったからです。日の出と共に起きだし、昼は農業に精を出し、夜は早めに寝る。おおざっぱな時間意識でした。しかしながら、工場経営者はいつも同じ時間に始業して同じ時間に終業させたいわけです。そこで朝に紅茶を飲ませることを思いつきます。

 紅茶には覚醒作用があり、体を温めます。そこにエネルギー源である砂糖やミルクを入れることで労働者の活力にしようと試みました。

 他にも、当時は週払い制で金曜になると貰ったお給料を持ったままパブへ直行し、みんなで酒を飲んでいました。仕事に出てくる日にはへべれけ状態もしくは二日酔いで出てきたのに困って、節酒措置として紅茶が奨励されたという説もあります。

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 以前は砂糖は高級品でしたが、西カリブで奴隷を使ったプランテーション農業が盛んになったこと、砂糖自体の関税を引き下げたこともあって価格が下がり、庶民でも気軽に購入できる価格になります。

 こうして庶民の間でも砂糖、そしてミルクをたっぷり入れた紅茶が主流になりました。

 (↓砂糖のプランテーション)

 

5.イギリス人、考える

銀の流出

  4で述べたように国内での需要は高まる一方でした。そこで前回取り上げたように「アッサム種」が発見され、インドは紅茶の一大生産地へと変貌しますが、それまでは引き続き中国から輸入していました。

 基本的に国家間の取引は銀を通じて行われていました。イギリスの財政状況はアメリカの反発はあるわ、産業革命で銀がもっと必要だわと元々火の車状態だった上に、当時の中国である清から茶を買うには銀が必要だわと紅茶を飲めば飲むほどイギリス国内の銀は減り続けるという変なサイクルに陥っていました。

 本当は清に生産した織物が売れれば良かったのですが、清国内の織物のレベルは大量生産では太刀打ちできる物ではありませんでした。

 そこで銀を獲得するために機械で作った織物をインドへ、インドから清へアヘンを、清からはお茶を輸入するという三角貿易を編み出しました。アヘンは清で大変高く売れ、銀と茶を同時に手に入れることが出来たのです。

 (当時のアヘン常習者)

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  清国内はアヘンで荒廃し、銀は流出してしまいました。こうした状況を打破すべく、林則徐という大臣はアヘンの取り締まりを強化。こうなるとイギリス、ブチギレました。完全に逆ギレ。

 イギリスは貿易自由化を求めて清に戦争をふっかけます(アヘン戦争 1839-1842年)   。

(手前の弱そうな船が清、奥の蒸気船がイギリスです。勝てるわけないじゃん。)

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当時のイギリス議会は戦争の原因がアヘンであったため、紛糾しました*3結果として、賛成派271票反対派262票のわずか9票差で開戦が決定しました。

 アヘンで人はボロボロ、お金がないので装備は一昔前という軍隊で、最新装備を揃えた職業軍人だらけの軍隊を持つイギリスに敵うはずもなく、清は敗れ、香港は割譲され、後に99ヶ年の租借に出されます。99ヶ年って目一杯借りとこ(貰っとこ)っていうのがモロに出てますね。

 ちなみに今でも中国に麻薬を1mgでも持ち込もうものなら死刑になります。もはやトラウマレベル。

どこでも、好きな時に

  当時、お茶を飲むためにはティーポットが必須でした。現代では気軽に飲めるティーバッグがありますが、この発明は全くの偶然の産物でした。

  1908年、ニューヨークにトーマス・サリバンという茶の卸売業者がいました。彼は紅茶のサンプルを絹の袋に入れて陳列していました。そこにレストランの経営者が現れて商品を買いましたが、ホテルでいざ飲もうとすると袋を開けるのが面倒になり、その袋ごとお湯を沸かしたティーポットに入れました。すると茶漉しを使わずに簡単に紅茶を飲めることを発見しました。これがティーバッグの誕生だと言われています。

 簡単で手早く入れることができ、いつでもどこでも楽しめるティーバッグは家庭にも普及し、アメリカでは第二次世界大戦後の1950年には紅茶市場の8割ほどがこのティーバッグになっていました。便利だからね、当然だよね。

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 しかし、初期のティーバッグは場合によってはうまく抽出できないという欠点がありました。そこで布ではなく紙を使用したもの、中の葉も細かい形状にされたものが考案され、茶殻が捨てやすく、抽出も早い、現在使用されている形になったと言われています。

 

コラム

アイスティー爆誕

 ティーバッグが発明される4年前、1904年にアメリカ、ミズーリ州セントルイス万国博覧会が開かれました。この博覧会にリチャード・ブレチンデンというイギリス人セールスマンが「熱い紅茶は体に良い」と宣伝しに来ていました。しかし、季節は7月。当然売れるはずはなく、彼は店の前を多くの客が素通りして行くのを絶望しながら見ていました。

 熱いなら冷たくすればいい。そう考えた彼は沸かした茶に氷の塊を入れ「冷たいお茶(アイスティー)」として売り出し始めました。結果的に、暑さにあえぎながら会場を巡っていた客に大当たりしました。この時砂糖を入れたかどうかは定かではありませんが、これがアイスティーの発明と言われています。

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ミルクは先か後か。

 ミルクティーについてコメントしていただいたのでここでミルクティーについても言及しておこうと思います。

 ミルクティー自体は発明当時、等級の低い、あまり美味しくないお茶を飲んでいた庶民が味をごまかすために入れていたとされています。このミルクティー、予想以上に美味しいものとなり、気づけば貴族にも広がっていたそうです。

 

 ミルクを入れるのは先か、後かという論争は1870年ごろからされており、2003年に王立化学協会が出した『How to make a Perfect Cup of tea』というプレスリリースで決着がついたと言われています。130年くらい言ってたのか。

 

 が、これはあくまで日本的な解釈でイギリス人からしたらただのジョーです。単にジョージ・オーウェルの生誕100周年を記念してオーウェルの書いた『A Nice Cup of Tea』というエッセイをオマージュしたものです。イギリス人はジョークが好きですね。

原文はこちら。問題の部分は1ページ目の下段あたりですね。興味のある方はどうぞ。

ちなみにぼくはストレート派です。

 

 

いかがでしたでしょうか。

出来るだけ教科書や参考書にはないような説明や情報を心がけました。

世界史やるとイギリスのゲスさ…狡猾さが際立ってますね!再確認出来ました。

いやー楽しかった。

気が向いたらティークリッパーとかリプトンの話でも書こうかな。

この記事はまた紅茶を飲むときにでも思い出してみてください。いつもよりちょっとだけ知的なティータイムになることを願っています。

 

 

次回は、考え中です。

引き続き、よろしくお願いします。

 

 

 

*1:イギリス初の浄水場1829年テムズ川の水をろ過するため作られました。

*2:日本円に換算すると700円程度

*3:反対派は「アヘンのために戦うのは馬鹿げている」とし、賛成派は「自由貿易を守るため」と主張しました。